ケータイ辞書JLogosロゴ 鍛冶屋村(近世)


兵庫県>吉川町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国美嚢【みなぎ】郡のうち。鍛冶村ともいった。慶長5年姫路藩領,元和3年からは明石藩領。村高は,「正保郷帳」では鍛冶村297石余うち田280石余・畑17石余,「天保郷帳」351石余,「旧高旧領」292石余。元禄年間の高297石余,田の定免4ツ8分(美嚢郡誌)。宝暦2年の高292石余うち新開6斗余(吉川町誌)。庄屋藤田新兵衛は,当村の年貢が実地面と相違して迷惑している旨を寛保3年明石藩主に願い出たところ,改検地が行われ高59石余(約5町歩)が引き下げられた。のち,村民は藩主と新兵衛の徳をたたえて,毎年3月11日に検地祭を行った(吉川町誌)。なお,「天保郷帳」の高は「元禄郷帳」を継承したものと思われ,改検地前の高にあたる。天明3年寺谷池をめぐって有安村・貸潮村と,寛政4年草池堂本池をめぐって大畑村との間にそれぞれ水論が発生している。明治13年頃の地租改正反別は田22町3反余・畑1反余・宅地1町余・山林原野8町1反余(吉川町誌)。明治22年中吉川【なかよかわ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389412
最終更新日:2009-03-01




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