ケータイ辞書JLogosロゴ 柏原荘(中世)


兵庫県>南光町

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。佐用郡のうち。弘安10年2月20日の亀山上皇院宣に「当宮領所職名田以下事,奏聞之処,於柏原庄事者,両方所申,相伝不全之旨,可為宮寺計之由,被仰下候畢」と見え,当荘は石清水八幡宮領であった(石清水文書/鎌遺16192)。その後の伝領過程は未詳。文明17年12月13日山名政豊は山内豊成に「佐用郡内柏原西方分壱分」を給分として宛行っている(山内首藤家文書/大日古)。なお,南光町東徳久の天一神社のある山の北,平松との間の山を城山といい,赤松氏一族の柏原氏の居城とした柏原城跡という。現在の南光町東徳久・西徳久・平松にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389437
最終更新日:2009-03-01




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