ケータイ辞書JLogosロゴ 香住(近代)


兵庫県>香住町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ香住村,大正14年からは香住町の大字。香住村の役場が置かれ,現在に至る。明治24年の戸数165,人口は男446・女416,寺院1,学校1,日本形船舶26。人口は,大正14年1,827,昭和10年2,153,同35年3,295。明治28年一日市・香住・下浜・森の4尋常小学校を合併して香住尋常高等小学校が設置され,同44年城崎以西の山陰本線が開通,香住駅が業務を開始した。大正13年に信用販売購買利用組合(香住町農協の前身)が設立され,同15年には県道(現国道178号)の拡張工事が竣工して,町の行財政機関がここに立ち並び,町の中心地として発展した。昭和7年県水産試験場但馬分場設置,同10年香住陸上無線電信局完成によって,町の基幹産業である漁業・水産加工業発展に大きな役割を果たしてきた。なお,漁港の改修が始まる昭和5年頃までは,金比羅浜は,遠浅の海水浴場としてにぎわった。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389453
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ