ケータイ辞書JLogosロゴ 片村(近世)


兵庫県>御津町

江戸期〜明治9年の村名播磨国揖西【いつさい】郡のうち揖保【いぼ】川下流右岸の寺山と前山の間に位置する地名の由来は,もと稲富村の出屋敷であったところから片方の村と呼ばれたことによる文禄3年6月5日の小出吉政知行目録に「かた村」と見え,黒崎村・井津村・庄内村とともに612石余とあり,この時期は竜野城主小出吉政の支配下にあった(金井文書/竜野市史5)同4年12月朔日の豊臣秀吉知行方目録に,かた村142石3斗3升と見え,はしさき村ほかとともに合わせて2,000石が西宮市名塩の教行寺に寄進されている(教行寺文書/有馬郡誌)はじめ竜野藩領,万治元年からは讃岐国丸亀藩領村高は,「正保郷帳」226石余うち田209石余・畑17石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに279石余西讃府志によれば,村高270石余,田16町7反余・畑2町1反余・屋敷2反余,年貢米130石余・山役3升7合,家数48・人数210,牛9鎮守は伊勢大神宮(現朝日神社)寺院は一向宗(現浄土真宗本願寺派)恵日山政源寺京極刑部少輔丸亀入城後,参勤の節庄屋四郎右衛門宅で小休し,屏風の竹の画と古歌1首御染筆は家宝となっている水利は荘内井堰から取水産業は古くは塩田であったが,後世米麦作が主となる農間期には塩浜・酒蔵への出稼ぎをした明治9年岩見村の一部となるその後岩見村甲組と称した
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389482
最終更新日:2009-03-01




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