ケータイ辞書JLogosロゴ 釜屋村(近世)


兵庫県>御津町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国揖西【いつさい】郡のうち。はじめ竜野藩領,万治元年からは讃岐国丸亀藩領。村高は,「正保郷帳」5石余すべて田方,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに202石余。西讃府志によると,村高337石余,田31町4反余・畑9反余・屋敷1町4反余,年貢米155石余,家数153・人数699。鎮守は苅屋村の富島八幡宮(現富島神社)。村内に阿弥陀如来像を祀る。ほかに荒神社2社,恵美須大黒がある。上荷船6(5反帆4,7反帆1,8反帆1)。当地域は低湿地であって古来塩屋賀茂荘といい,土地はすべて塩田であった。寛政年間地味が悪くなって新田として開発され,村高も急増した。水利は荘内井堰から取水。米作のみの村方であった。農間期網干塩浜,灘の酒蔵へ出稼ぎをした。明治22年御津【みつ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389604
最終更新日:2009-03-01




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