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- 上新田とは
「上新田」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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上新田(近世) 江戸期~明治22年の新田名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上新田【かみしんでん】 天竺川最上流域,千里山丘陵の東北部に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
上新田【かみにった】 (中世)鎌倉期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
上新田(中世) 鎌倉期に見える地名栗原郡のうち古代新田郡の郡号がすたれた後も「新田」の広域地名は残ったものと思われ,「大石寺文書」などに見える小野寺新田氏の「新田」の氏名はこれに出たものといってよいが地名として確認できないしかしこの新田初代重綱五男で「新田卿公」と号した日蓮宗大石寺派高僧日目の嘉暦2年11月10日付譲状には,「上新田坊并びに坊地,弁阿闍梨【べんのあじやり】(日道)に譲与し畢んぬ又上新田講所たるべし此の上新田の事ともは,弁阿闍梨一期の後は,幸松に譲与すべき也」とあり,上新田という呼び名のあったことがわかる当然下新田の存在も推定でき,上・下新田の前に汎称としての新田の存在が考えられてくる近世新田村が上・下に分かれていた事実に先行する歴史といえる場所的にも近世新田村と重なり,それより広い範囲にわたっていたと考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上新田村【かみしんでんむら】 (近世)江戸期~明治19年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
上新田村(近世) 江戸期~明治19年の村名常陸国筑波郡のうち小貝川中流左岸の自然堤防上に位置する古くは高須加古新田,正保~元禄年間は高須賀上新田と称し,享保年間以後に上新田村と改称慶長4年~延宝4年は麻生藩領,のち幕府領村高は,「元禄郷帳」では古くは高須加古新田とあり高須加上新田村として96石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに160石余で,「天保郷帳」には古くは高須賀上新田村とある享保7年からの山田沼の干拓により7町3反・56石余の水田を得た寛政年間の代官岡田清助(寒泉)は善政を施したので,村民はその支配下の他村の村民とともに天保4年に板橋村不動院境内に故県令岡田君功徳之碑を建てた明治8年茨城県,同11年筑波郡に所属同15年山田喜平は東香社を設立し,製茶の改良事業を展開した明治19年高良田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上新田(近世) 江戸期~明治22年の新田名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」