ケータイ辞書JLogosロゴ 上滝野村(近世)


兵庫県>滝野町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国加東郡のうち。寛永5年滝野村が下滝野村と当村に分村して成立したという。なお,「正保郷帳」は滝野村として記す。姫路藩領。村高は,「天保郷帳」726石余,「旧高旧領」は728石余。寛延3年の村明細帳によると,家数192うち高持百姓147,人数908,高瀬舟30。職業別人数は酒造4・作間商人23,鎮守は旧郷社で,春日四座大明神を祀る春日神社。ほか神社は稲荷神社・大歳神社・猿田彦神社・山神神社。堂宇は薬師堂。当村は近世加東郡の行政の中心で,姫路藩池田氏は北播磨支配の代官所を置いた。また,姫路藩の滝野組大庄屋の所在地でもあった。文禄3年に始まる加古川舟運の拠点で,上下する高瀬舟や筏から5分1銀を徴収する滝野船座が設けられた。田高川(闘竜灘以北)舟運と滝野川(同以南)舟運を結ぶ中継地で,船荷を一時保管する荷宿や多くの舟持ち・仲買いが軒を連ね活況を呈した。延宝3年の両滝野村荷分出入文書では,荷宿7軒,舟持ち34人。加古川は,当村で川床いっぱいに奇岩怪石を起伏させ,豪壮な滝の景観をなすため古来文人墨客の来訪が絶えない。幕末の詩人梁川星巌がその景観を詠んだ七言絶句にちなんで「闘竜灘」と呼ばれるに至った。闘竜灘はまた,筧どりと称する独特の漁法などで知られる。明治15年の戸数235・人口961。同22年滝野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389750
最終更新日:2009-03-01




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