ケータイ辞書JLogosロゴ 上立杭村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もと立杭村の一部,元禄元年に同村が上立杭村・下立杭村に分村して成立。なお,郷帳類では江戸期を通じて立杭村一村として扱われている。篠山【ささやま】藩領。天明3年高附帳によれば,上立杭村の家数44・人数199。「多紀郡明細記」では,上立杭村の高138石余,家数41・人数229,牛27,水車2,また,宝暦4年には米3石余の窯座上納と銀71匁余の車運上があった。鎮守は住吉神社。ほかに金比羅神社・稲荷神社がある。明治2年三田藩での百姓一揆の勝利や東条谷での強訴の成功を聞いた当地方の人々が上立杭村・下立杭村に集合し強訴を相談,大庄屋宅を襲撃,のち首謀者・参加者はきびしい処罰を受けた。同6年の高125石余,田10町4反余・畑8反余,正租65石余・永371文4分。同17年の戸数46・人口218,牛19,物産は米・大麦・裸麦・大豆・豌豆・大根・芋・ゴボウ・実綿・柿・梅・李(多紀郡地誌)。当村の窯は3基で,本窯(50間)・北窯(57〜58間)・南窯(52〜53間)。同22年今田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389754
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ