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「上町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

上町(近世)


江戸期~明治初年の町名江戸期は三木町の町方の1町下五か町に属す明治以降は三木を冠称地名の由来は,姫路に向かう道筋にある町を上・中・下に分け,その位置により上町と...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7389820]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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上町(近世)

 江戸期~明治22年の地域名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

上町(近世)
江戸期~明治22年の町名鹿児島城下3町の1つ鹿児島城の東北方海岸寄りの町屋敷が連なる区域をさす宝暦年間には,柳町・車町・地蔵町・戎【えびす】町・和泉屋町・浜町の6町からなる(通昭録巻7)元禄年間城近くの海浜に造成された新築地と称される埋立地のうち上町にかかる新築地は祇園前築地とか神明前築地とも呼ばれたこの築地の町屋敷は38か所になったところで浜町に編入されたが,この理由は屋敷40か所以上でなければ1町を取り立てることができなかったからである(県史・鹿児島市史)弘化・嘉永年間頃の埋立地には小川町が成立している宝暦年間の家数1,102軒(通昭録巻7),安永6年頃の屋敷数399,文政9年頃は397(県史)文化4年頃の上町は焼酎屋が非常に多かったという(列朝制度)毎月3・6・9の日には定期市が立ち(天保9年薩摩国御巡検使書上),年中行事として町人300~400人も参加する恵美須踊りは6月の祇園祭,7月の諏訪祭の神事に上町の商人が踊るもので恵美須の面をつけ,鯛を釣るしぐさで踊り,この歌曲は島津19代光久の作になるという(三州御治世要覧附録年代記)ほかに下町と交代で毎年6月祇園祭を行った文久3年の薩英戦争では上町の大部分が焼失,明治10年の西南戦争でも大火で延焼三昼夜に及んだという明治4年地蔵町が栄町と改称,向新地に向江町が置かれた城下3町は町奉行に属し,その下に町人から任命される惣年寄・年寄・年寄格・年行司・年行司格・十人役・乙名頭・横目役等がいた会所は車町に置かれ,年寄が詰めて主として警察事務を行い,火見櫓も付設された廃藩置県後は県庁直轄の府下上町と称され,「県地誌」によれば小川町・和泉屋町・恵美須町・車町・栄町・柳町・浜町・向江町の名が見える...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

上町(近世)
江戸期の町名飯山城下の一町飯山城下の南に位置し,南は新町,北は本町(下町),東は千曲川に接する北国脇往還市川道に沿う町筋で,南北に長く,元禄11年の町の長さ4町25間5尺(飯山町誌)天正11年以降上杉景勝の家臣岩井信能による飯山城の本格的築城に伴い,諸役免除により町並みが形成された飯山三町の一つ元禄11年の家数80,市川道の東側9軒・西側71軒で,東側には御番所が置かれ,西側には蕎麦切屋・鍛冶屋・紺屋・石屋・桶屋・綿屋・米屋・糀屋・塩屋・布屋・釘屋・油屋・薬屋・鞍屋・扇屋・穀屋などの屋号をもつ家並みが続く町人町である(元禄11年飯山町屋敷割/飯山町誌)同年の家並役47軒(元禄11年飯山城下町屋敷検地帳/県史近世史料8-1)正徳元年の町年寄七右衛門・町庄屋綿屋久左衛門,町年寄は五人扶持諸士格で役料籾10俵であり,町庄屋は町問屋を兼ねており役料籾14俵であった(飯山町誌)正徳元年の家数82・本役家並47軒(正徳元年飯山町差出帳/県史近世史料8-1)享保2年の大火により全町焼失,その後復興弘化4年の善光寺大地震後は土地の隆起により千曲川の洪水による水入りが少なくなったという元治2年飯山城下の諸商売・諸職人の組合行司に,荒物・小間物・太物行司小島屋九市,在耀穀行司利八・辰蔵,古着行司藤蔵・利助,綿行司治兵衛,仕立行司栄助,指物・鍬柄・下駄行司長蔵,桶屋行司清右衛門,紺屋行司丹次郎,蝋燭行司甚七,丁持行司甚五兵衛,油屋年行司助三郎,穀屋年行司久五郎,糸師行司友次郎・九市・新左衛門・庄七,質屋行司大助がいる(飯山町誌)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

上町(近世)
江戸期~明治7年の町名江戸期は三国浦,明治4年からは坂井港のうち上美町・加美町とも書いたこれは,万治2年以降に三国湊背後の台地上に家が建てられていった上新町を上町【うわまち】と称し,これとの混同を避けるためと考えられる幕末から明治になると加美が多く用いられた町名は,大門町・元町に対して川上に位置することによる三国湊のうちで最も古い町の1つ文政12年の家数62(三国湊記録)三国湊は福井藩の外港であり,当町を蔵地とし,明治期まで川岸には米蔵が並び番所が置かれていた(三国町史)天明年間頃の三国浦一円絵図によれば,岩崎町から当町にかけて河岸に葦が茂っており,明治3年の三国湊一円分間図には,先述の蔵と川の間のところどころに町人持畑地があり,蔵前の川にはツキス(着洲)が突き出しているこの蔵から山手は商店街であった金津道(四日市口)からの道と鐘鋳渡(岩崎口)からの道が当町南端で合流して川下の町々へ通じたが,この道に面して川方・山方とも商店が軒を並べた多葉粉屋孫四郎や田辺九郎左衛門などが有力町人として知られ,江戸後期に福井藩の御用鋳物師となった浅田新右衛門もここに住んでいたこの通りからさらに山手に小路を入ると上手垣内【うわてがいち】と呼ばれる一角があり,賃持や魚商数軒があった(三国町の民家と町並)その突き当たりに地蔵堂がある安永7年の湊の大火では一部を残して焼失,天明4年には町内全域が焼失明治7年玉井町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

上町(近世)
江戸期~明治9年の町名水内【みのち】郡のうち上町村・長沼上町ともいう千曲川左岸の低平地に位置し,北国脇街道松代通りに沿う街村慶長16年同街道の宿場として起立,長沼宿とよばれた犀川の出水で本街道の市村の渡しが通れない時だけ通行する人が多かったので,「雨降り街道」とも呼ばれた江戸前期には長沼城下の一町で,地名の由来は城下の上手にあたることにちなむというはじめ松代藩領,元和元年長沼藩領,元禄元年からは幕府領高は,「正保書上」463石余,「元禄郷帳」495石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに508石余なお,「慶長打立帳」では長沼村のうちに含まれている安政4年の余業書上には,木綿660貫・蚕繭60貫があった(県史近世史料7-2)戸数は,弘化4年43・慶応元年44明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属同7年の反別は田29町・畑11町(県町村誌)神社には長沼神社・秋葉社がある西厳寺は磯部6か寺の一つで,境内の蓮如堂は上人滞在の跡と伝える同9年長沼大町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

上町(近世)
 江戸期~明治19年の町名...

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上町(近世)
江戸期~明治4年の町名田丸城下の1町田丸城の北の平地,城下の北端に位置する天神社の参道から東方へ向けて町並が形成され,中央には伊勢本街道が東西に通る南は堀を隔てて小西町と接する当町には本通りと裏通りの2筋の道があり,裏通りは袋町と俗称される田丸城下は寛永年間に本格的に整備されたが,当町もこの時期に成立したといわれる(玉城史草)当町は,武家地と町人地が混在し,本通り南側には五十人同心の10軒の屋敷地があり,北側には町家が並ぶ袋町の人家はわずかで,武家屋敷もある町家の戸数の変遷は,享保18年31戸(本役25・半役6),寛政年間33戸,天保2年31戸(うち本役22・半役7),明治9年27戸(田丸郷土史)氏神は西部にある天神社で,明治期に田丸神社と改称,明治41年には城下各社を合祀した明治4年廃藩置県によって田丸城下は寒川【さむかわ】村となり,当町はその一部となる...

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上町(近世)
江戸期~明治7年の町名今庄村に形成された今庄宿6町の1つ宿の最南端に位置し,北は観音町と接していた町名の由来は,南の入口の上口をもつ当町から,観音町と坂を登り,最も高い中町から古町,新町と下り下口へ出るように宿がつくられていて,宿駅の一番上に位置することによると思われる西側はすぐ山がせまり,細長い町並みとなっており,東側は町並みに続き畑も広がっていた北陸街道の木ノ芽峠越え(西近江路)と栃ノ木峠越え(東近江路)の玄関口であった宿場南端の上口で,往還は北西に向きを変え,当町の通りに入ると前後の見通しが完全にさえぎられるように防御を配慮して町並みが形成されていた明治7年の市街地名改正により愛宕町の一部となるなお当時の上町の戸数59...

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 江戸期~明治4年の町名...

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