加茂村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。有馬郡のうち。賀茂村とも書いた。寛延年間当村から宮脇村が分村。はじめ三田【さんだ】藩領,慶長7年丹波国福知山藩領,元和6年幕府領,寛永3年からは再び三田藩領。村高は,「摂津高改帳」545石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,066石余。当村を流れる青野川沿いに加茂堤がある。長さ1,880間余の堤で,幕末に藩によって流路が変更された際に高湯堰とともに築かれたものである。神社は,加茂神社(天満宮)。同社の秋祭りには,宵宮に稲取りの行事があり,本祭にはホーホー踊りが奉納される。ほかに大神宮があったが慶応年間加茂神社に合祀したという。寺院は,曹洞宗青陽山正観寺。なお延享元年の三万石村寺社によればほかに香含寺があり,加茂神社の社坊として祭事を行ったが,明治初年廃寺になったという(三田市史)。明治19年加茂村外6村戸長役場設置。同22年中野村の大字となり,当村飛地は貴志村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389876
最終更新日:2009-03-01