ケータイ辞書JLogosロゴ 鴨野村(近世)


兵庫県>柏原町

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国氷上郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長3年柏原藩領,慶安3年幕府領,天和年間頃からは旗本佐野氏知行。村高は,「丹波国郷帳」235石余うち田199石余・畑35石余,「天保郷帳」246石余。寛政6年の家数45(丹波志)。高見山北麓の谷あいの扇状地で,耕地が狭くそのため住民の一部が移住し,隣村北山村を形成したという(慶長2年北山稲荷神社御当状により推定)。古来,灌漑用水が十分ではなく,溜池の築造に精力を費やしてきた。当地域では竹製の日用品作りが盛んで,行商も行われた。文政9年村役人に不法行為があるとして村民が徒党を組み騒いだが,奉行所の取調べの結果,不正のないことが判明。首謀者などが入牢の罪に問われたが,詫状一札で鎮撫した。これを文政の鴨野騒動という。近松門左衛門作「大経師昔暦」や井原西鶴作「好色五人女」のおさん茂右衛門の隠れ家(茂右衛門の親戚)があった。産土神は加茂神社。ほかに稲荷神社・春日神社・愛宕神社などがあった。寺院は臨済宗東光山延寿寺。このほか虚空蔵堂があった。文禄年間以降伝わるという加茂神社の宮の当渡しの行事があり,当を受けた家に村中が集まり,押し合いの行事がある。明治22年新井【にい】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389903
最終更新日:2009-03-01




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