ケータイ辞書JLogosロゴ 神坂村(近世)


兵庫県>村岡町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国七美【しつみ】郡のうち。慶長6年からは旗本山名氏の知行(明治元年村岡藩領)。村高は,「国高一紙」76石余,「天保郷帳」98石余。鎌倉期の建久〜建保年間にかけて七美郷地頭東入道浄有が当地に居住し一帯を治めていたといわれ,現在その東館の跡がある。東入道は建保年間卒去し,当地に葬られ,その墓の前は獣類や悪党の通行が禁じられていた。寛永19年山名矩豊が小代二社へ参詣のためはじめてこの墓の前を通った時,馬は頭を下げて一歩も進まず,矩豊は馬を降り墓に参拝し,馬は川向こうを通った。即日,矩豊は東入道の墓の埋却を命じ,今は石垣のみ残る(増補七美郡誌稿)。相田村を当村の支村と伝える(同前)。大慈院浄有寺の跡は村の西,字寺山にある。東太郎平家胤が父入道の菩提のために建立,遊行上人開山,天正5年兵火にかかり焼亡した。浄有寺に伝来の経本を,享保年間里道の右傍に埋め,経塚を建てた。鎮守は天満神社。明治10年神坂小学校を創立,当村と相田・萩山・板仕野の4か村を就学区域とした。同22年一二分村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390054
最終更新日:2009-03-01




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