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北浦村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北浦村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北浦村(近世) 江戸期の村名小城【おぎ】郡のうち天山山地南麓,祇園川と清水川との合流点東岸に位置する小城藩領北郷に属す「天明郷村帳」では小村に畑ノ木・原田がある村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに256石余,「天保郷帳」では270石余,「旧高旧領」には見えない祇園社・千葉城跡のある山の北麓にあり,千葉氏および家臣などの屋敷があった場所とされ,犬追場という地名もある寺社は妙見社,日蓮宗修善院末延命寺・延福寺がある妙見社は,千葉氏の妙見信仰崇敬の篤い場所である村の南部にある「イボ地蔵」は肬に悩む人々の崇敬を集めている明治元年当時の庄屋は伊兵衛(昭和9年刊小城郡誌)なお「小城郡村誌」によれば,明治2年・同5年の両度に松尾村・三間寺分・吉田村・横町村・清水村の5か村(あるいは高原村を加えて6か村)と合併して松尾村となる「明治7年取調帳」では高原刈の枝村として見え,「郷村区別帳」では松尾村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば松尾村のうちに「北浦村」と見え,戸数94・人口467... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」