ケータイ辞書JLogosロゴ 北少路村(近世)


兵庫県>伊丹市

江戸期〜明治7年の村名摂津国川辺郡のうち北小路村とも書く在郷町である伊丹【いたみ】郷町を構成する15か村の1つ元和3年「摂津高改帳」では当村名が見えず,伊丹村のうちに含まれている大坂・尼崎から中山・有馬へ抜ける街道筋で,氏神野宮の門前に位置するはじめ幕府領,天和元年〜同3年は相模国小田原藩領,元禄5年柳沢吉保(同7年からは武蔵国川越藩)領,宝永元年上野国高崎藩領,同7年幕府領,正徳元年からは近衛家領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」とも283石余元禄7年の家数126,うち本百姓20・糸引き10・傘屋4・小間物売り6・水茶屋4・日用58(柳沢吉保領伊丹郷町絵図/伊丹市史2)文政4年の人数577伊丹郷町の氏神野宮は延喜4年に猪名寺村(尼崎市)から移されたと伝えられ,現在の社殿は貞享3年に改修されたもの境内には酒造家らの寄進した石灯籠が96基も並び,伊丹の町の繁栄ぶりをしのばせる愛宕社をはじめ末社も多い真言宗金剛院は野宮の別当寺院で,永正14年銘の町石笠塔婆がある慶応4年金剛院と野宮は分離され,野宮は猪名野神社と改称した村内には繰綿問屋の玉屋,麻田藩札の銀主となった溜屋,大坂御用酒積替所を開いた大鹿屋らの有力商人がいた享保14年80軒が焼けた大火など,しばしば火災の発生源になっている明治7年伊丹町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390188
最終更新日:2009-03-01




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