ケータイ辞書JLogosロゴ 北恒屋村(近世)


兵庫県>香寺町

江戸期〜明治10年の村名播磨国神西郡のうち高岡南荘に属した正徳6年恒屋村が南恒屋村と北恒屋村に分村して成立市川支流恒屋川中流域姫路藩領村高は,寛延年間950石余,「天保郷帳」では「南恒屋村之内,北恒屋村」として635石余,「旧高旧領」でも635石余北恒屋には豪農が多く,清瀬家は中村・久畑へ分家したり,郷原谷を開拓した丸井家は中村へ,橋本家は当村内で分家している神功皇后伝説のある棚原山には棚原明神や出湧寺が神仏混淆で祀られていたが,天正年間頃棚原明神の唐櫃・什器を櫃倉神社の地に遷して氏神としたと伝えられる櫃倉神社の盆踊りは有名寺院は,天文11年後藤祐正が道場を開いたことに始まる真宗大谷派松原山祐光寺,享保19年祐光寺から分かれたという浄土真宗大谷派棚原山光輪寺がある明治10年恒屋村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390204
最終更新日:2009-03-01




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