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- 北山とは
「北山」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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北山町(近世) 江戸期~昭和43年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北山(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北山郷【きたやまのごう】 (中世)鎌倉期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
北山郷【きたやまのごう】 (中世)鎌倉期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
北山用水【きたやまようすい】 富士宮市大字内野,通称横手沢の芝川の取水口から同大字上井出・中井出・同大字北山字堀久保を経て北山一帯に引水し,途中の村々の飲料水・灌漑用水として使用されている用水... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
北山郷(中世) 鎌倉期に見える郷名伊都【いと】郡官省符荘河北方・下方のうちの北部山間部村名でも見える正治3年正月6日の小坂部助宗田地去状(高野山文書/大日古1-6)に「紀伊国伊都郡河北北山負物代奉渡田半事」とあるのが地名としての初見当地内の「ハカゝ谷」(佐賀谷)にある田地180歩を負物代として僧祐尊に渡しているついで,承久2年12月日の山籠光性田地売券(同前1-2)では「河北々山」にある田地180歩が乃米2石5斗で興都維那に売却されており,端裏書に「婆加賀谷券」とある下って弘安8年2月5日の了性房忌日田配置状(同前1-3)には村名で見え,「高野政所北山村ハカカ谷」の「ハカ」の部分を抹消して「サカ谷」と注記し,同地の田地180歩を了性房の忌日田と定めているなお明徳2年の年紀のある諸供領臈次番付書(同前1-8)の146臈に「政所北山村字佐賀谷半定田四斗 了性寄進」とある一方文永9年10月10日の入寺道慶御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-5)では「政所河北方北山中村内檜懸壱段」が御影堂に寄進されており,同地は上述の諸供領臈次番付書(同前1-8)の88臈に「樋懸水田一反内半,北山中村顕信房寄進」と見えるまた弘安4年5月17日の大法師親快田地宛行状(同前1-4)には「河北北山郷中村内字古垣内三百歩」と郷名で見え,円勝房に宛行われている正中2年3月16日の阿闍梨審栄田地売券(同前1-5)では「官省符北山中村湯屋東字摩尼田」の田地1反が直銭9貫文で禅観房に売却されているそして同地は同年卯月21日の法眼尊忍御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-2)で御影堂陀羅尼田として寄進されたこれは上述の諸供領臈次番付書(同前1-8)の203臈にあたるその他「北山中村」は同番付書の24・115臈に見える一方永仁5年5月日の大法師賢空垣内田畠充文(同前1-5)では「官省符下方北山字柏木四郎行事垣内」の田地などが琳観房に宛行われた正安4年7月26日の阿闍梨定範垣内田野売券(同前1-5)で「北山字柏木四郎行事垣内田地百卅歩并荒野」が直銭6貫文で売却されているまた正和4年3月16日の藤原重信御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-2)で「高野政所下方北山柏木村字四郎行事垣内」の田地1所が御影堂に寄進されている同地は上述の諸供領臈次番付書(同前1-8)の176臈に当たるまた,官省符荘下方田畑在家帳目録(同前1-7)には「下方山村分」として佐賀谷・竹尾・大畑・短野・柏木などが見えるしたがって北山郷は山郷・山村とも称されたとみられるその他同番付書の214臈には「政所北山久住村一反三十歩」とある現在の高野口町佐賀谷・上中・下中・九重【くじゆう】一帯,かつらぎ町の大畑・短野・柏木一帯に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北山郷(中世) 鎌倉期に見える郷名伊都【いと】郡官省符荘河北方・下方のうちの北部山間部村名でも見える正治3年正月6日の小坂部助宗田地去状(高野山文書/大日古1-6)に「紀伊国伊都郡河北北山負物代奉渡田半事」とあるのが地名としての初見当地内の「ハカゝ谷」(佐賀谷)にある田地180歩を負物代として僧祐尊に渡しているついで,承久2年12月日の山籠光性田地売券(同前1-2)では「河北々山」にある田地180歩が乃米2石5斗で興都維那に売却されており,端裏書に「婆加賀谷券」とある下って弘安8年2月5日の了性房忌日田配置状(同前1-3)には村名で見え,「高野政所北山村ハカカ谷」の「ハカ」の部分を抹消して「サカ谷」と注記し,同地の田地180歩を了性房の忌日田と定めているなお明徳2年の年紀のある諸供領臈次番付書(同前1-8)の146臈に「政所北山村字佐賀谷半定田四斗 了性寄進」とある一方文永9年10月10日の入寺道慶御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-5)では「政所河北方北山中村内檜懸壱段」が御影堂に寄進されており,同地は上述の諸供領臈次番付書(同前1-8)の88臈に「樋懸水田一反内半,北山中村顕信房寄進」と見えるまた弘安4年5月17日の大法師親快田地宛行状(同前1-4)には「河北北山郷中村内字古垣内三百歩」と郷名で見え,円勝房に宛行われている正中2年3月16日の阿闍梨審栄田地売券(同前1-5)では「官省符北山中村湯屋東字摩尼田」の田地1反が直銭9貫文で禅観房に売却されているそして同地は同年卯月21日の法眼尊忍御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-2)で御影堂陀羅尼田として寄進されたこれは上述の諸供領臈次番付書(同前1-8)の203臈にあたるその他「北山中村」は同番付書の24・115臈に見える一方永仁5年5月日の大法師賢空垣内田畠充文(同前1-5)では「官省符下方北山字柏木四郎行事垣内」の田地などが琳観房に宛行われた正安4年7月26日の阿闍梨定範垣内田野売券(同前1-5)で「北山字柏木四郎行事垣内田地百卅歩并荒野」が直銭6貫文で売却されているまた正和4年3月16日の藤原重信御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-2)で「高野政所下方北山柏木村字四郎行事垣内」の田地1所が御影堂に寄進されている同地は上述の諸供領臈次番付書(同前1-8)の176臈に当たるまた,官省符荘下方田畑在家帳目録(同前1-7)には「下方山村分」として佐賀谷・竹尾・大畑・短野・柏木などが見えるしたがって北山郷は山郷・山村とも称されたとみられるその他同番付書の214臈には「政所北山久住村一反三十歩」とある現在の高野口町佐賀谷・上中・下中・九重【くじゆう】一帯,かつらぎ町の大畑・短野・柏木一帯に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北山川【きたやまがわ】 奈良県吉野山地の伯母峰峠付近に源を発し熊野川に注ぐ1級河川... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
北山川【きたやまがわ】 奈良県吉野山地の伯母峰峠付近に源を発し熊野川に注ぐ1級河川... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
北山文化を出現させた足利義満 ◎250年間に将軍が15人も出た 室町幕府は、1573年に崩壊するまでの約250年間に、15人の将軍を出している... |
出典:日本実業出版社「早わかり日本史」
北山川【きたやまがわ】 県南部,吉野郡の南東部から,下流では三重・和歌山・奈良3県の県境を流れる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」