ケータイ辞書JLogosロゴ 木之部村(中世)


兵庫県>篠山市

鎌倉期に見える村名丹波国多紀郡宮田荘のうち多紀郡の北方,宮田川下流域の北部に位置する弘安元年10月日の丹波国宮田荘雑掌言上状案に「率数多人勢,□宮田御庄木乃部村⊏⊐古々木之間」と見え,建治2年□月12日夜半,大山荘地頭中沢基員が多人数を率いて当村に乱入し,その上当村の代官源三郎入道西善が虐殺された事件が起こっている(近衛家文書/大山村史史料編)正和4年3月にも当村住人の加治大夫安貞が,路上で大山荘地頭の子中沢直基らに捕らえられ,米100石と銭200貫文を脅迫強奪される事件があった(同前)当村にはその頃大山市庭に出入りし,加治大夫安貞をはじめ種次・枝包らといった富裕百姓たちが存在し,多くの「銭貨小袖及諸方質物」を蓄えていた当村は現在の篠山市東木之部・西木之部付近に比定され,昭和59年に周辺が発掘されて,鎌倉期の住宅遺跡などが発見された地名の由来はもと木部【きべ】で,木材の搬出,薪炭を生産していた部民の居住地であったからという「丹波国郷帳」では,東木ノ部村と西木ノ部村に分けて記載され,江戸初期に2か村に分かれたと考えられるが,「元禄郷帳」「天保郷帳」には木之部村一か村として記される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390320
最終更新日:2009-03-01




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