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- 九軒町(近世)とは
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![]() | 九軒町(近世) 江戸期~明治2年の町名神田を冠称「備考」では神田紺屋【こんや】町3丁目代地続と近江仁正寺藩市橋氏上屋敷続の2か所に代地が,神田紺屋町3丁目上納地続に上納地があった安政3年尾張屋板図では下谷【したや】御成街道と神田山本町代地との間にもう1つ代地があるが,嘉永6年の近吾堂板では同地は御染屋敷とある明治2年,各町は神田材木町・岩本町・神田元柳原【もとやなぎわら】町となる現行の神田須田町2丁目・神田岩本町・外神田4丁目のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 九軒町(近世) 江戸期~明治2年の町名今出川通今出川御門1筋上ル西入の町石橋町の西側にあたる当町名は宝永2年洛中洛外絵図や天明6年洛中洛外大図などに見える「文政三年軒役」によれば,9軒の公儀軒役を負担文久3年,当町北側は薩摩藩の邸地となる(府地誌)江戸期は上立売九町組枝町の相国寺門前八町随身五町に属す明治2年,相国寺門前町に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」