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楠木村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
楠木村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国宝飯【ほい】郡のうち下郷と呼ばれる豊川沖積低地に位置する吉田藩領(豊川市史)村高は,慶長9年検地高55石余(三河国吉田領人馬役割帳),「寛永高附」36石余,「元禄郷帳」31石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに68石余天保2年の村指出帳によると,戸数24・人数119,うち男62・女57,本百姓23人,馬持ちなしとある慶安2年の免状によると,36石3斗5升のうち荒永引きがあり,その残高に対する免が3ツ6分,新切が1ツ5分となっている文化3年には堹之上・楽筒・楠木3か村の川成荒地を開墾するようにと吉田役所から命じられたが,地境が分からず争論が起き,麻生田村・石原村などの庄屋が仲裁に立ち内済した本野が原に入会地をもつ正徳5年豊川の洪水で当村から楽洞村にかけての堤が大破し,周囲一帯が水浸しとなる明治11年二葉村の一部となる現在の豊川市二葉町の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
楠木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」