ケータイ辞書JLogosロゴ 口大谷村(近世)


兵庫県>村岡町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国七美【しつみ】郡のうち。慶長5年出石【いずし】藩預り地,同6年からは旗本山名氏の知行(明治元年村岡藩領)。村高は,「国高一紙」153石余,「天保郷帳」191石余。寛文年間中大谷村を分村したという。鎮守は熊野皇神社(熊野権現宮),天文年間の勧請。中島神社は旧称矢和神。丹波国氷上郡久下城主久下越後守の家臣で当村に流寓していた中島源三郎が,芦田源内の父の仇として脇腹を突かれて討たれ,死後ヤワ(脇腹)の痛みを治すと遺言して果てた。この源三郎を祀ったのが矢和神という(増補七美郡誌稿)。安永7年但州発句宗匠岡治右衛門(俳名茶袋園蘆江)の門人によって蘆江翁塔が建立された。治右衛門は山名氏の用達兼大庄屋でもあった。地内には太田垣治兵衛宗喬の墓がある。宗喬は田公殿の残党で兄信喬とともに小代一揆後,因州に逃げ羽柴秀吉に従った。明治9年大谷校創立,当村と中大谷・大笹の3か村が就学区域。同22年兎塚村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390477
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ