ケータイ辞書JLogosロゴ 口銀谷(近代)


兵庫県>生野町

 明治22年〜現在の生野町の大字名。町役場が置かれた。明治24年の戸数493,人口は男1,088・女1,127。世帯数・人口は,昭和5年888・3,672,同48年823・3,056。大正2年区制を布き5区に分割,同5年森垣を編入し6区とした。生野鉱山は,同22年皇室財産となり御料局の経営となったが,同29年三菱合資会社に払い下げられた。明治24年口・奥両山神を合祀のため字井の口に新たに山神社が造築された。昭和27年玉翁院が東西寺に合併して廃寺となる。同28年飾磨港〜生野間に播但鉄道が開通,生野駅設置。昭和48年鉱山は閉山となったが,跡に錫製錬と機械工場が残り,生野工場として経営が続いている。同57年日本シリコンが進出,新工場も建設され活況を取り戻しつつある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390482
最終更新日:2009-03-01




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