ケータイ辞書JLogosロゴ 久斗荘(中世)


兵庫県>浜坂町

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。二方郡のうち。大庭荘と併せて久斗大庭荘ともいう。皇室領(長講堂領)荘園。建久2年の長講堂所領注文に「久斗大庭庄」とあり,後白河院創建の六条殿長講堂に寺役以下を勤仕した(島田文書/鎌遺556)。弘安8年の但馬国大田文にも「久斗庄 四十九丁三百分〈長講堂 領家中納言 下司法眼珎暁 御家人実綱跡 公文蓮信〉」と記す。預所代光利の注文によれば田地の内訳は仏神田3町余・人給田4町・定田42町。下って,応永14年3月日付長講堂領目録には「同(但馬)国久斗大庭庄 右大臣家(今出川公行)年貢絹三十疋」と見える(八代恒治氏所蔵文書/大日料7‐8)。南北朝期の応安元年11月27日付長道全寄進状写によれば,この時,「但馬国久斗庄内下司職内田畑」が楞厳寺(浜坂町田井)に寄進された。この所領は「久斗庄下司職内田地弐町」ともいわれ,永和2年10月に但馬守護山名時義の安堵を受けたのをはじめ,明徳5年2月には山名時熙,大永元年10月には山名誠豊の安堵を受け,永く同寺領であった(山名家御判物之控并鐘銘控/仏頂山楞厳禅寺随想,楞厳寺文書/写真でつづる楞厳禅寺)。なお,寛正4年3月の久谷八幡宮再建棟札写に「一,五貫文 久斗庄」と記すのも注目される(株本順夫文書/浜坂町史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390510
最終更新日:2009-03-01




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