ケータイ辞書JLogosロゴ 国包(近代)


兵庫県>加古川市

 明治22年〜現在の大字名。昭和30年からは上荘町を冠称。はじめ上荘村,昭和30年からは加古川市の大字。明治24年の戸数198,人口は男493・女525,寺院1。同24年築山神社の新築および石垣の修理が行われた。同33年国包銀行創設,資本金15万円で営業を始めた。同38年新屋醤油醸造場創業。農用道具としての唐箕の産地で,大正5年頃の製造軒数10戸で,年間400台を生産。また,建具製造も盛んで,30戸を数えた(印南郡誌)。これら木工業が繁栄したのは,当地が加古川の流域にあり,上流から良質の木材が運ばれ,製品を消費地に送る舟運に恵まれていたことによる。大正2年播州鉄道(同12年播丹鉄道,昭和18年国鉄三木線,同59年からは三木鉄道)が開通し,国包駅が設けられた。国包駅の年間乗車人数は,昭和33年16万余,同38年19万余,同48年11万余。鉄道の開通に伴い舟運も衰退し国包河岸も廃れた。昭和30年頃には上荘橋の近代化もあり対岸の井ノ口を結ぶ国包渡しも廃され,同60年には加古川大堰の建設に伴い船着場の石組みも消滅した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390519
最終更新日:2009-03-01




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