ケータイ辞書JLogosロゴ 栗栖野村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もと豊臣氏蔵入地,天正15年伊予国丸串城主戸田民部少輔勝隆領,文禄3年豊臣氏蔵入地。のち八上藩領,慶長13年からは篠山【ささやま】藩領。村高は,天正15年庄内高帳204石余,慶長13年丹波多紀郡桑田津之国帳152石余,「丹波国郷帳」217石うち田182石余・畑35石,天明3年高附帳・「丹波志」ともに265石余,「天保郷帳」268石余。古検地天正15年・文禄3年。新検地承応2年〜明暦2年。新開検地延宝8年など。天明3年高附帳によれば,家数30・人数133。「多紀郡明細記」によれば,租率48.1%,山役2石4斗,家数26・人数116,牛8。鎮守は大歳神社。寺院は浄土宗本誉山若林寺。同寺は永禄年間僧頓誉の開基,栗栖野城主酒井信綱のあと,信政の菩提所となる(丹波志・多紀郡地誌)。ほかに弥勒山常福寺があったという。明治15年の物産は米160石・大麦65石余・茶180貫目・松茸4貫目・薪2万5,000貫目。米・茶などは古市地方へ販売した。明治22年城南村の大字となり,当村飛地は古市村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390624
最終更新日:2009-03-01




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