ケータイ辞書JLogosロゴ 黒崎村(近世)


兵庫県>御津町

 江戸期〜明治22年の村名。揖西郡のうち。はじめ竜野藩領,万治元年からは讃岐国丸亀藩領。村高は,「正保郷帳」302石余うち田232石余・畑70石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに471石余。西讃府志によれば,枝村として北村があり,村高609石余,田46町6反余・畑1町5反余・屋敷1町9反余,年貢米250石余,家数176・人数701,牛25。鎮守は,往古武山・基山両城の鎮守として八幡宮があったが苅屋村に移転。地内西村と北村に荒神(現富島神社)がある。寺院は一向宗(現浄土真宗本願寺派)転教山徳善寺。同寺は永徳3年僧教珍の開基。このほか地内に経堂がある。武山では虫送りのため毎年火上げが行われた。もと竜野城主赤松政村が選定したという播磨10水の1つ篠井の水がある。黒崎も往古から塩浜で,字に東塩浜・北塩浜・西塩浜・中塩浜・南塩浜が残っている。これら塩浜は追々新田となったが,これとは別に文化10年村役人から新しい塩浜の開発を願い出ている。水利は3つの溜池と荘内井堰から取水。住人は寛政年間塩浜廃止後,米作と網干塩浜への日雇や他国への勤奉公に出た(田淵家文書)。明治22年御津【みつ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390703
最終更新日:2009-03-01




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