ケータイ辞書JLogosロゴ 黒土村(近世)


兵庫県>千種町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国宍粟【しそう】郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和元年山崎藩領,慶安2年幕府領,以後延享元年〜同3年出羽国山形藩領,宝暦2〜13年上野国高崎藩領,明和6年〜文政11年尼崎藩領となったほかは幕府領。村高は,「正保郷帳」218石余うち田184石余・畑34石余,寛保2年の「宍粟郡村々御高附」および「天保郷帳」「旧高旧領」ともに235石余。「宍粟郡村々御高附」では総反別23町。嘉永4年宗門人別改帳によれば,家数64・人数279,牛20・馬3。耕地が少ない割に牛馬が多いのは鉄山荷物・商人荷物の駄賃稼ぎに従事する者があったことを示すものと思われる。享保17年凶作による年貢銀納願のため江戸表へ越訴した一件では,訴願した者だけでなく参加した若者も入牢させられ,残された女・子供・老人たちが困窮している状況を記す訴状や,当時の記録を克明に記した日記が残っている。銀納願は山間の僻村ではあるが鉄山などの関係で比較的に現金入手が容易であった一面もあらわしている。鎮守は地内城ケ乢にある五社神社,軻遇槌命・大山祇命・大日留女命・天児屋根命・応神天皇の五柱を祀る故に五社神社という。のち明治41年須賀神社・滝神社を合祀。明治22年千種村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390731
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ