黒土(近代)
明治22年〜現在の大字名。はじめ千種村,昭和35年からは千種町の大字。戸数・人口は,明治24年66,男172・女160,大正6年80・414。明治10年代の鉄山の休山,同11年地租改正による国有林への編入と,二重の打撃を受け,村は再生への道を林業・養蚕業・畜牛に求め,同26年村農会を創設,スギ・ヒノキの苗圃,蚕種の共同購入,種牛飼養などに力を入れた。特に当地は他5大字とともに蚕種貯蔵,養蚕教師聘用,繭共同販売などの事業を進め,また蚕業組合を開設して定款を定め,基本金を蓄積するなど養蚕の発展に力を尽くした。大正12年千種川支流黒土川の流水を利用し水力発電所が設置され,村の一部に電灯が点灯。昭和13年村が県下2位の子牛生産頭数になった時,当地の牛保有頭数は49であった。同20年の世帯数129・人口596。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390732
最終更新日:2009-03-01