ケータイ辞書JLogosロゴ 糀屋村(近世)


兵庫県>中町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国多可郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,寛永16年からは幕府領。村高は,「正保郷帳」382石余うち田354石余・畑27石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)378石余,御取米并家数人別増減帳(糀屋区有文書/中町史史料篇)によれば,明和6年373石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに379石余。「旧高旧領」には稲荷社領6石余を含む。御取米并家数人別増減帳(同前)によれば寛政3年の家数36・人数151。天保4年加古川筋に一揆が起こり,多可郡の幕府領などにも波及した。代官所の力では鎮まらず,姫路藩に援兵を依頼した。藩は約1,000人の人数を出動させ当村の延命寺に到着したが一揆勢は丹波国に移動したり,解散したりしていた。地内永盛山は古くから銀・銅などが採掘され,明治初期はわずかながらも産出が増えたという(中町誌)。鎮守は稲荷神社。慶長5年姫路城主池田輝政より社領を寄進され,慶安2年将軍家光より6石余が朱印地として認められた。寺院は真言宗延命寺。同寺は加東・加西・美嚢・印南・氷上にまたがる12か寺の中本寺。稲荷神社の別当寺で,古くは照明寺ともいい法道仙人の開創と伝えるが,明治初年廃寺となる(中町誌)。明治22年中村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390840
最終更新日:2009-03-01




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