ケータイ辞書JLogosロゴ 河高村(近世)


兵庫県>滝野町

 江戸期〜明治22年の村名。加東郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和3年幕府領。宝永3年出石【いずし】藩領,延享4年からは一橋家領。村高は,「正保郷帳」では「川高村」と見え791石余うち田719石余・畑72石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに902石余。延享4年の村大概帳では,家数196,牛59,高瀬舟5。加古川舟運の主要河岸があり,加西郡の米・諸荷物を高瀬舟で高砂湊まで積み下した。寛保3年には4人の舟持ちがいた。鎮守は住吉神社と八幡神社。住吉神社境内の石造明神鳥居は無銘であるが,様式手法から室町末期のものと推定される。堂宇は地蔵堂・薬師堂・観音堂。江戸期以前から藺草を栽培し,良質の畳表を産した。羽柴秀吉による安土城の織田信長への献上品に杉原紙と並んで「河高表二千枚」とある(太閤記)。藺草栽培は第2次大戦後まで続いた。当地南端の安取集落は,青野原新田を開発した大久保一族が,高瀬舟の河岸として開いたもの。富家郷を中心とした加西郡の米を積み下し,江戸期から明治期までは50戸余を数えたが,舟運衰退後は20戸余に減った。同地は当村の一部だが,安取村として一村とされることもあった。明治22年滝野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390858
最終更新日:2009-03-01




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