ケータイ辞書JLogosロゴ 河内村(近世)


兵庫県>東浦町

 江戸期〜明治10年の村名。津名郡のうち。川内村とも書く。慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領。村高は,「郷帳下書」262石余,「天保郷帳」406石余,「旧高旧領」528石余。「味地草」では高497石余,家数56。山間地に開け東浦から西浦へ通じる交通・交易の要所。小田村からの流水が3か所に分流し,当村中央で合流,白山村へ流れる。本村・下・北の3牓示に分かれる。清水谷に明神社(地主明神),羽田に西福寺(阿弥陀堂)がある。古くは阿弥陀堂で正月5日近里の僧が読経,牛王札を授けていた。村人は長さ2尺ばかりの小木4,5本を結び持って堂宇の縁をたたいて,豊作福財を祈った。これを鳥追といった。小田村境に城という地があり,古城跡といわれるが不詳。伝承に昔郷士岡田掃部家滅亡のとき,一寺の経巻を埋めたという経塚松,廃寺跡という旦坊などがある。畝号に,亀の甲・蛇が口池・乳母屋敷・国きやう・八升蒔・徳法師山・ひよ・阿文字の背・柴船山・草露の背・びんじゅう山などがある。田畑は斜面上に耕作される。明治10年中山村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390872
最終更新日:2009-03-01




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