ケータイ辞書JLogosロゴ 興法寺村(中世)


兵庫県>篠山市

南北朝期〜室町期に見える村名丹波国多紀郡宮田荘のうち多紀郡の東北,宮田川中流域の北方に位置する建武4年3月5日久下重基は仁木頼章に従って越前金崎城攻めに功をたて,同月10日に興法寺村などを足利尊氏より与えられた(久下文書)次いで,明徳2年8月10日に久下重元は足利義満から宮田荘内興法寺村など承久年間以来の知行地とともに安堵されている(同前)久下氏はその後,重元の子新三郎重之が文安年間細川勝元に従って軍忠をいたし,その孫重国に至って諸荘園を知行して全盛時代をなした明応8年11月19日の久下道祖増丸知行注文に「宮田庄内弘法寺村」と見える(同前)しかし,その後戦国期にかけて,久下一族は次第に衰え,政光・重像の代には所領を土豪に横領されるなどあって興法寺村も久下氏から離れたなお,建武4年久下時重が当村を拝領した時,願心によりこの村に一宇を建立して珍宝山長光寺と号し,守り本尊聖観音を安置した先祖の墓の傍らにカシの木を植えたとある(久下党家系・丹波志)現在篠山市上板井に小字興法寺があり,一宇が残る
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7390915
最終更新日:2009-03-01




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