ケータイ辞書JLogosロゴ 小畑村(近世)


兵庫県>加古川市

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国印南【いなみ】郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」297石余うち田263石余・畑34石余,元文2年明細帳396石余,「天保郷帳」407石余,「旧高旧領」412石余。寺院は,曹洞宗安清山長楽寺,もとは報恩寺の奥の院であった。浄土真宗平松山称専寺は享保9年に僧信了が開創。水利は中野池・小塩池・新池などを利用するとともに,志方谷川の水を志方谷川井堰から取水。元文2年の村明細帳では,家数102・人口661,牛26,木挽1・医師1・牛医1(小畑村の歴史)。明治初年頃,庄屋は寺子10名を集めて読書・習字を教授。同6年一本松新・西山・神木の3か村とともに当村に普及小学校を設置したが,同8年神木村の化成小学校に統合される。また,明治6年土橋小学校を設立。同14年の戸数148・人口647。同21年の専業農家数27・兼業農家数102,稲作は49町1反で950石余の収穫,製茶戸数は17で508貫目を収穫,そのほか小麦・裸麦・大豆・小豆・粟・黍・甘藷などを栽培(諸取調書上物綴/続小畑村の歴史)。同22年平荘村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391103
最終更新日:2009-03-01




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