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「材木町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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材木町(近世) 江戸期~昭和43年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期の町名岩国城下錦見【にしみ】のうち町人地の錦見町の1町岩国七町の1つ木町ともいう錦見町の北部,錦川寄りに位置する町名の由来は,承応4年の岩国町屋敷御帳写(岩国徴古館蔵)によると,大工・木挽・檜皮などの職人が多く居住しており,材木に関係ある仕事に従事する者が多く住んでいたことによると思われる当町と魚町・豆腐町を合わせて裏町と呼ぶ承応4年の同書によると屋敷数28で,北側長さ41間,幅13間で家数13,南側長さ63間4尺,幅12間半で家数15間口5間以上をもつ者に下対屋・平野屋・米屋・大工長左衛門・金子七右衛門らがいた元禄年間頃,岩見屋佐左衛門が大年寄を勤めた(岩国徴古館蔵岩国沿革志)この頃,町は北側41間5尺,南側38間,それに横町両側31間,片側町7間半,合計121間半,家数29であったなお土手町64間6尺,屋敷22軒は当町に属した(岩国徴古館蔵宝暦11年材木町屋敷帳)天保14年の材木町図面(岩国徴古館蔵)によれば,間口5間以上もつ者に,石見屋・松金屋・宇治屋・知利屋などがあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期~明治7年の町名小浜町の1町今在家町・松寺小路と接しており,南東には伏原の水田が広がる東には明治34年国重文に指定された絹本着色弥勒菩薩像を所蔵する日蓮宗長源寺がある町内の寺院は西宝寺と本福寺寛永17年の夫代銀は中町に位置付けられ,坪あたり1分7厘5毛とされている(江口夫右衛門覚書)また,嘉永元年の願文証文并諸事控によれば区分が東・中・西に変わり,ここでは中に格付けされているなお,寛文11年6月藩主の前で二番餅搗として今在家町とともに祇園会の練物を,また,延宝7年の祇園会にも餅搗の山車を今在家町とともに出している元禄14年11月5日の夜質屋町から出火し当町も類焼(拾椎雑話)明治6年の戸数50同7年竜田町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期~明治4年の町名熱田【あつた】の1町堀川町ともいう(尾陽雑記)熱田社の西に位置する堀川左岸南は芦町境より,北は欠町境に至る町で,長さ117間余,幅2間2尺(徇行記)この辺りは元和年間まで田畑や芦野であった名古屋城の普請の時,堀川が掘られ,のち寛永年間から慶安年間までに人家ができたという(熱田旧記)堀川の中に島があり,中島といったが,越の三国の辺りから来た女達が住みつき,俗に三国とも称した(尾張志)中島は材木町の小字でもあった明治4年白鳥町の一部となる(愛知郡誌)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期の町名伊丹【いたみ】村(伊丹町)を構成する27か町の1つ文禄年間までに成立明和6年頃住友家の抱屋敷が町内にあった天明6年当時には津国屋勘三郎ら江戸積酒造家6軒が集中し,伊丹郷町内でも指折りの酒造地域であった元治元年にも6つの酒蔵が変わらず操業している(有岡古続語/伊丹市史4)現在の伊丹市伊丹3丁目・中央6丁目の各一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
材木町(近世) 江戸期の町名江戸初期清須城下の1町清須城の南に位置したと思われる(清洲町史)慶長15年頃始まった清須越により名古屋城下の清須材木町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」