ケータイ辞書JLogosロゴ 境村(近世)


兵庫県>香住町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国美含【みくみ】郡のうち。はじめ出石【いずし】藩領,天保7年幕府領(久美浜代官所),嘉永4年からは再び出石藩領。村高は,「国高一紙」「天保郷帳」ともに74石余。年代不詳だが香住村庄屋の手控帳に塩高12石余とある。寛文13年の坂江村塩浜御改帳では家数22,享保年間切支丹御取調では家数25である。鎮守は米粉神社・弁天社(厳島神社)・若宮神社。「境地誌」によると,明治8年の家数54・人口255。明治元年頃の漁船33艘,漁網2種,漁民69人,同19年頃の漁船57艘,漁網14種,漁民121人である。明治17年の地誌編纂取調書には,「地味赤黒あるいは砂にして稲粱に適せざるをもって下等に位すというべし,桑茶の類わずかに生育す,甘藷はよくその地に適し収穫実に多し」とある。同22年香住村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391307
最終更新日:2009-03-01




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