ケータイ辞書JLogosロゴ 実山村(近世)


兵庫県>美方町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国七美【しつみ】郡のうち。慶長6年からは旗本(交替寄合)山名氏知行(明治元年からは村岡藩領)。村高は,慶長6年130石(村岡藩二百五十年史綱要),「但馬国知高帳」では真山村とあり130石,「天保郷帳」170石余。元和元年の大坂の陣には,現村岡町の池田日向守清由が山名豊国の代わりに出陣,旗持ちとして当村の牧野新八を召し連れている(美方町史)。当村の井上家は天和〜宝永年間,および明和〜寛政年間にそれぞれ小代大庄屋となっている。元禄2年萩山村(現村岡町)との間に瀞川山境について争論となる。同10年大火で神社以外をほとんど焼失。元文4年の小代一揆では当村の助左衛門が主謀者の一人として村払いの処分を受けたが,のち村岡への出入りが許された(美方町史)。弘化3年の年貢勘定は,高147石余(田128石余・畑19石余),田方は納米65石余,畑方は納米3石余・雑穀3石余,ほかに新田高22石余の納米7石余・雑穀3斗余,また夫銭など小物成が銀209匁あった(同前)。神社は地内上田の荒御神社(三宝荒神)。境内社に八坂神社・白髭神社(近月さん)がある。このほか地内上田に阿弥陀堂,八重垣に観音堂があった。観音堂は当村にあった内倉山高清寺が天正5年兵火で焼失後,その本尊を安置したという。さらに一峰寺が同地に移され,同寺の本尊となったが,元和4年一峰寺が廃寺となり,そののち峰山観音として祀られるようになったという(同前)。明治9年大判田に校舎を建て忠宮学校開校。同22年小代村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391474
最終更新日:2009-03-01




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