ケータイ辞書JLogosロゴ 塩市村(近世)


兵庫県>高砂市

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国印南【いなみ】郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」290石余うち田246石余・畑43石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに367石余。用水は加古川本流からの上部【うえべ】井堰。作間渡世の代表的なものに石切りがあった。この採石は,元禄年間に水害で困窮した村民が藩に竜山石の石切出しを願い出たことに始まる(享保16年塩市村古文書/増訂印南郡誌)。明和5年の石工85・問屋7(増訂印南郡誌)。この竜山石は藩の専売品に取り立てられ,字山所【やまじよ】(山条)に石会所が設置され,藩から目付・手付各1名が派遣され,村方からは当村・島村・生石【おうしこ】村から各3名,魚崎村1名が仕役として出仕し,各帳場を巡回,石材の検査に当たった(同前)。この藩専売の開始は藩主榊原忠次時代との伝承がある(同前)。なお,石材の輸送には,法華山谷川・旧洗川(別称今市川または魚崎川)を経て高須まで,魚崎村の艜船が当たった(魚崎村明細帳控)。庄屋は加藤家の世襲。寺院は真宗大谷派善覚寺,幕末の頃,同寺住職藤郷了円は寺子屋の教師,ほかに医師小野泰順の寺子屋もあった(増訂印南郡誌)。明治14年の戸数140・人口538,田23町余・畑5町余・宅地3町余(播磨国地種便覧)。同22年米田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391570
最終更新日:2009-03-01




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