ケータイ辞書JLogosロゴ 塩屋御厨(中世)


兵庫県>御津町

平安末期〜戦国期に見える御厨名播磨国揖西【いつさい】郡のうち塩屋荘とも見える播磨国における賀茂別雷神社領荘園の1つ寿永3年4月24日賀茂別雷社領荘園における武士の狼藉停止を命じた源頼朝下文案に列記する社領荘園の中に「播磨国 安志庄 林田庄 室・塩屋御厨」が見える(賀茂別雷神社文書/姫路市史史料編1)「吾妻鏡」同日条に「賀茂社領四十一所,任院庁御下文,可止武家狼藉之由有其沙汰」とあるのに当たる翌元暦2年4月29日後白河院牒をもって,播磨国賀茂別雷社神領「安志庄・林田庄・三箇御厨」での武士の狼藉停止を命じ(同前),翌文治2年9月5日に源頼朝は院の仰せによって,安志【あなし】荘・林田荘・室御厨における武士の狼藉停止を命ずる下文を発給している(同前)当御厨はこの場合,室御厨に含まれているとみられる元弘3年8月20日後醍醐天皇は賀茂社領塩屋御厨を賀茂社禰宜雅久に宛行った(賀茂別雷神社文書/大日料6‐1)南北朝期以降,当地は塩屋荘と記される観応元年12月日足利尊氏は「賀茂社領播磨国塩屋庄」に禁制を発給し,当荘を賀茂社領として安堵した(同前/同前6‐14)また,正平6年8月7日には赤松則祐が当荘に禁制を発給している(賀茂社古代荘園御厨/同前6‐15)応永元年11月24日足利義満は「室・塩屋」本家職の知行を片岡社禰宜男平に安堵している(賀茂別雷神社文書/同前7‐1)当荘の代官は赤松氏で,文明13年11月28日赤松政秀請文によれば,塩屋荘の月宛公用銭は京着88貫文であった(鳥居大路文書/同前8‐13)当荘は賀茂社の社家鳥居大路家が管理し,年貢など収入の一部が知行料に当てられていた天文6年3月3日鳥居大路為平は塩屋荘内本所下地2反を肥塚和泉守息女松に10貫文で売却している(上賀茂神社文書/早稲田大学所蔵文書上)また,「蔭涼軒日録」長享2年正月25日条には「播陽塩屋内保寿寺」が見える(大日本仏教全書)「室・塩屋御厨」とも記されるように,当御厨は室御厨と隣接していたとみられ,現在の御津【みつ】町室津西方の内湾部付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391625
最終更新日:2009-03-01




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