ケータイ辞書JLogosロゴ 茂利村(近世)


兵庫県>中町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国多可郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,寛永16年からは幕府領。村高は,「正保郷帳」309石余うち田294石余・畑15石余,貞享2年の免定(茂利区有文書)によれば312石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)・「天保郷帳」「旧高旧領」いずれも330石余。天明9年の村明細帳(茂利区有文書)によれば家数29(すべて高持)・人数149。明治2年の村明細帳(同前)によれば家数29・人数167。文化6年の大坂谷町代官所への年貢減免に関する訴状によれば当村は土地柄悪く下免の村であったが,延享年間から高免になったため,文化6年までに51人の高持から29人の潰百姓を出したという(同前/中町史史料篇)。鎮守は当村と中村町の氏神である大歳神社。神社はほかに大将軍神社。寺院は善福寺で,慶長15年に建立され,享保年間以後は無住。明治22年中村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391678
最終更新日:2009-03-01




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