ケータイ辞書JLogosロゴ 四斗谷村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。篠山【ささやま】藩領。郷帳類では,「元禄郷帳」に「小野原ノ内,四斗谷村」とあるが,ほかでは小野原村の一部として扱われた。村高は,明暦元年120石余,天明3年高附帳でも120石余。元和5年には「小野原しと谷村」と呼ばれており,その後,四戸谷(和田寺文書)・人谷とも書かれた。天明3年高附帳によれば,家数36・人数168。「多紀郡明細記」では,家数32・人数146,牛18。鎮守は住吉神社。善陰寺跡と伝承される地に薬師堂がある。山の中腹にある妙見堂は,かつて山頂付近にあったといい,現在四斗谷の氏神として祀られている。明治6年の高128石余,田6町5反余・畑5町6反余,正租70石余・永74文余。同17年の戸数28・人口141,牛18,物産は米・大麦・大豆・小豆・豌豆・ソバ・大根・芋・茄子・瓜・ゴボウ・実綿・菜種・茶・炭,ほかに凍豆腐30荷を産出,炭焼兼業農家20(多紀郡地誌)。産業としては炭焼きが盛んであったが,酒造も行われており,のち明治27年には155石余を産出している。明治22年今田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391750
最終更新日:2009-03-01




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