ケータイ辞書JLogosロゴ 新野辺(中世)


兵庫県>加古川市

 戦国期に見える地名。播磨国加古郡のうち。永正12年8月日の鶴林寺々料田惣目録に「〈シノヘ〉五郎左衛門」「新野辺衛門太夫」などが見える(鶴林寺文書)。天文3年8月日の同目録,同日付の鶴林寺所務帳に「シノヘ」「新野辺」が見える(同前)。天正10年8月28日,羽柴秀吉が明智光秀を破った山崎の合戦における播磨侍の論功行賞が行われた。前但馬出石【いずし】城主山名尭熙にも,その合力の賞として加古郡内で2,000石の地が与えられている。同日付の秀吉書状によれば,木下将監の知行地を割いたものであり,「ふた又(二俣)」「山上(山之上)」「のそへ(野添)」「野寺内」とともに,「志のへ(新野辺)」で772石の知行地が見える(記録御用所本古文書/大日料11-2)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391779
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ