ケータイ辞書JLogosロゴ 下牛尾村(近世)


兵庫県>市川町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国神東郡のうち。江戸前期牛尾村が上牛尾村と下牛尾村に分村して成立。寛文10年下牛尾村に庄屋が置かれているので(瀬加村誌),この頃の分村と思われる。「元禄郷帳」には「古ハ牛尾村」として上牛尾村・下牛尾村とある。姫路藩領。村高は,寛延年間401石余(神崎郡誌),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに427石余。庄屋は代々岡本家が勤めた。宝暦年間7年間にわたって上牛尾村広畑九郎兵衛が河内新田2町5反余を開発した。文化7年の諸色明細書によれば,高396石余ほか永引5石余,家数141(本百姓84・水呑57)・人数645,牛52,小物成は犬米1斗余・茶役米4斗・柿役米2斗・草藁銀193匁余,ほかに地役銀・栗役銀・山椒銀・椏役銀・博労運上・藪新開・炭売札運上など銀300匁余があった(瀬加村誌)。集落は下岡(本村)・檜原・河内からなる。河内山・日原山・忍辱山は近隣44集落の入会山。住民は農業のかたわら山稼ぎに従事している。地内市場では薪柴・木炭の市が開かれたという。鎮守は上牛尾村の岩戸大明神社(のちの岩戸神社)・中宮大明神社(のち笠形神社)・西宮大明神社(のちの笠形神社)。寺院は曹洞宗林長山永通寺。明治5年永通寺を仮校舎にして小学校が開校。同14年の戸数184・人口792,田70町余・畑4町余・山林274町余・草山787町余(播磨国地種便覧)。同22年瀬加村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391901
最終更新日:2009-03-01




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