ケータイ辞書JLogosロゴ 下河原町(近世)


兵庫県>篠山市

江戸期〜明治5年の町名篠山【ささやま】城下11か町の1つ篠山城の南東端,篠山川に沿った東西に細長い町町名は,慶長14年篠山築城に際し,篠山川を王地山の東方で流れを南に導いてできた河原に建設されたことによる東は上河原町,西は小川町・上立町に接する上立町との境,板橋の南の低い地区を窪と通称慶長15年観音寺を八上村より移建し,次第に家並みができた正徳年間には南側144間余・家数35,北側154間余・家数37,道幅2間半で,西方は3間余,観音寺路1間余(高附帳)文政5年の家数は南側36・北側40(祠堂銀寄進帳・家並図)文化4年と安政3年の篠山大火では類焼し被害甚大であった(非常例集)曹洞宗普門山観音寺があり,もとは曽地口村にあったという(丹波志)境内観音堂の十一面観音立像は,もと割場の宝寿院に安置されていた平安末期の作氏神春日神社に対しては,寛文3年上河原町・小川町と3町で三笠山の鉾山を奉納したが,天保3年には小川町とともに鳳凰山を納めた江戸末期より明治中頃までは多紀郡の商業の中心地として繁栄し,銀行をはじめ各種の大店が並び,京都の経済圏に属して大いににぎわっていたが,そのうち中心が西に移り住宅街となっている明治5年河原町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7391952
最終更新日:2009-03-01




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