ケータイ辞書JLogosロゴ 下徳久(近代)


兵庫県>南光町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ徳久村,昭和30年からは南光町の大字。明治24年の戸数116,人口は男314・女313。同25年前後から畜産・養蚕を副業に導入して生計の支えとし,婦女子はわら芯切りをして家計を助けていた。明治23・25・29年に洪水,同32年には千種川の大増水で溺死者があり,同年9月台風で家屋が倒壊,その他病害虫発生。大正3,4年に佐用坂峠再改修により,東西の交通が至便になる。同11年電気架設。昭和10年姫津東線が開通,播磨徳久駅設置,駅前通りに商店街が形成された。畜産・養蚕は昭和25年前後から衰退していった。同38・40年豪雪,同38・40・43・47・51年には大洪水があった。世帯数・人口は,昭和35年177・814,同55年215・802。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392052
最終更新日:2009-03-01




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