ケータイ辞書JLogosロゴ 下西町(近世)


兵庫県>篠山市

江戸期〜明治5年の町名篠山【ささやま】城下11か町の1つ城下町の西端に位置し,東西に細長い町並み北は上西町に接し,西は東岡屋村に続く東は石山口と称し,武家屋敷に接する町名はその位置によって名付けた町並みは南側115間余,北側111間余,道幅3間半,家数45,役家数14,門2,中程を南北に小川が流れ,道に番所橋を架した(正徳年間大郷帳)修験道の文殊院と日蓮宗宝乗山妙福寺がある妙福寺は,当初摂津国島上郡五百住村に文明年間に創建されたといわれ,永禄年間に松永久秀が八上城主波多野晴通・秀治父子を落城させて入城し,甥孫六郎を城主となし,妙福寺を城下に移したものと伝えるそののち慶長15年八上城下より現在地に移建氏神春日神社に対しては,貞享4年の社殿再建に際して銀157匁余を寄進し,安政2年上西町と合同で山鉾の鏡山を奉納文政5年の氏子数40戸幕末頃は,金物・古袖物・青物・豆腐・酒造・菓子・傘提灯・酢・畳・小間物・質物・大工・塗師・煙草・仕立屋などが混住していた明治5年西町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392067
最終更新日:2009-03-01




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