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- 下宮村(近世)とは
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![]() | 下宮村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下宮村(近世) 江戸期~明治5年の村名玉造【たまつくり】郡のうち「元禄郷帳」には下宮村宿とある江合【えあい】川北岸の平野部と丘陵地から成る村名の由来については,「荒雄川神社由緒書」によると,式内社と伝える荒雄川神社と神宮寺を置いた上宮に対し,八幡神社を置いた地を下宮と称したといわれている仙台藩蔵入地・給地村高は「元禄郷帳」で210石余,「天保郷帳」では254石余安永期の村況は,村高25貫余(うち田代21貫余・畑代3貫余)・人頭21・家数27(下宮町宿場分)・人数132・馬42(安永風土記)当村は出羽街道の宿場町でもあり,小黒ケ崎【おぐろがさき】・松程【まつほど】・妙法【みようほう】・姥沢【うばさわ】などの鉱山の金鉱・銅鉱の集散地でもあった町は東西1丁9間,南北1丁30間(玉造郡誌・封内風土記)寺社は慶安2年開山と伝える曹洞宗花岳院,承安年間藤原秀衡の勧請と伝える八幡宮がある(安永風土記)明治元年新仙台藩,以後,仙台県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県に所属明治5年上宮村・鵙目【もずめ】村・上一栗【かみいちくり】村と合併,池月【いけづき】村の一部となる次いで同22年一栗村成立に伴い,池月が一栗村の大字となり,下宮は一栗村池月の字となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下宮村(近世) 江戸期~明治7年の村名山鹿郡のうち地名は「げくう」とも称した彦岳南麓,菊池川支流の岩野川中流右岸に位置する村名は,彦岳権現社の下宮があったことにちなむ彦岳権現下宮は彦岳宮とも称し,古く山伏らの拠った坊舎跡があるという(鹿郡旧語伝記/鹿本郡郷土研究資料1)熊本藩領「寛永郷帳」では高75石余,「正保郷帳」も同高でうち田52石余・畠23石余,「天保郷帳」77石余,「旧高旧領」78石余「肥後国誌」によれば山鹿手永に属し,高76石余,小村に辺田があるなお慶長4年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,反別が田4町1反余・畠3町2反余の計7町3反余で,その分米75石,屋敷数6同9年の検地帳(同前)では,反別8町1反余・分米75石余,屋敷数9(山鹿市史)宝暦12年の田畑地引合改見図帳では,上知と給地分で頭百姓2・小百姓25が見え,下ケ名に免登町・中毛町などがある(山鹿市史)熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年津留村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下宮村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」