ケータイ辞書JLogosロゴ 下八太村(近世)


兵庫県>三原町

 江戸期〜明治10年の村名。淡路国三原郡のうち。天正14年の淡路国御蔵入目録(脇坂文書)に見える「はだ村」の一部。慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領。掃守【もかり】組に属す。村高は,「郷帳下書」129石余,「天保郷帳」279石余,「旧高旧領」433石余。なお,「元禄郷帳」「郷帳下書」「天保郷帳」に見える中八太村は,当村か上八太村の一部からなると思われ,再びいずれかの村に含まれたと考えられるが未詳。また,新庄村はもと当村の荒地を開発して明暦元年に成立した村という(淡路草)。「味地草」では,高422石余うち給人の知行地190石余。用水池に大井池(下幡多池)がある。明治2年の造酒屋株品分帳(佐野家文書)によれば村内に3軒の酒造家があった。鎮守は八幡神社。自凝島社は正徳・享保年間頃大榎列【おおえなみ】村によって造営されたといわれ(淡路草),別当寺は同村の威光寺。寺院は淡路四国24番札所の真言宗神本寺。明治10年幡多村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392090
最終更新日:2009-03-01




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