ケータイ辞書JLogosロゴ 下三河村(近世)


兵庫県>南光町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国宍粟【しそう】郡のうち。延宝年間までに三河村が上三河村・中三河村と当村に分村して成立。はじめ幕府領,延享元年出羽国山形藩領,のち明和6年尼崎藩領,のち幕府領(一時期姫路藩・三日月藩の預り地)。村高は,延宝検地帳控323石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに322石余。文政10年の家数47。文政8年作州・播州の百姓一揆では,下野村庄屋へ詰めかけるなどしたが,中心人物3〜4人が召し捕られ鎮定(庄屋公私用日記)。地内には常光庵がある。村人の生業は米・麦・大豆・稗・蕎麦などのほか,タバコを生産していたと天明3年の文書にある。また作間稼に薪炭をつくり,下徳久村の久崎から高瀬舟で出荷した。明治22年三河村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392120
最終更新日:2009-03-01




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