- JLogos検索辞書>
- 菖蒲谷(中世)とは
「菖蒲谷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
菖蒲谷(中世) 鎌倉期に見える地名薩摩国満家院のうち文永12年4月11日と4月26日の源佐範申状に「比志嶋堀内以下薗々畠等」として「四至〈東限河 西限久木山田尻 北限山 南限井尻田端〉同平狩倉 田平 菖蒲谷」と記されている(比志島氏文書/旧記雑録)源佐範は前記の園・畠の万雑公事の免除を請い,収納使・地頭代によって認められた正和2年11月28日の比志島忠範和与状では「しやうふたにのしゝ内てんちらの事」とあり,当地をめぐる相論で和与が成立しているなお,正安元年8月の源忠範置文には「上しやうふたに」「下しやうふたに」が見える(同前)鹿児島市皆与志町に菖蒲谷の集落名がある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」