ケータイ辞書JLogosロゴ 須加院村(近世)


兵庫県>香寺町

 江戸期〜明治22年の村名。神西郡のうち。須加院荘に属した。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」330石余うち田238石余・畑92石余,寛延年間411石余(神崎郡誌),「天保郷帳」455石余,「旧高旧領」464石余。口須加院が中須加院から分かれたのは,江戸前期仁豊野堰【にぶのゆ】が作られた頃と思われる。口須加院に天和2年の牛供養碑があり,この頃矢田部川と市川の合流点に保喜橋が架設されている。また仁豊野(現姫路市)もこの頃開発され,中須加院の八幡神社が同地に分祀された。幕末頃中須加院の宮辻家が姫路藩の藩札を作った。神社は,地内北川に延喜式内社の田川神社がある。須加院川流域の豊穣を祈念して田川を崇敬して祀ったので田川神社という。同社の地は石坐の豊穂命を遥拝する所であったとも伝えられる。神社はほかに,宮前に八幡神社がある。同社は中須加院と口須加院の氏神である。寺院は,元禄年間僧実伝が再興した黄檗宗瑞雲山常福寺が中須加院にある。同寺は,康治元年頃日野資業が日野家の氏寺として建立した天台宗極楽寺の跡に創建された寺院で,寛政11年常福寺裏山から極楽寺瓦経が発掘された。常福寺は唐様建築で,庭園にキリシタン灯籠が残る。このほか,奥須加院に黄檗宗桃源寺,口須加院に地蔵堂がある。明治12年の反別は田58町1反余・畑11町5反余・宅地4町7反余(神崎郡誌)。同22年香呂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392429
最終更新日:2009-03-01




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