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「杉原」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

杉原


加古川の支流杉原川流域に位置する...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7392455]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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杉原町【すぎはらちょう】

(近世~近代)江戸期~昭和49年の町名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

杉原荘(中世)
平安末期~戦国期に見える荘園名備後国御調【みつぎ】郡のうち古くは椙原保とも呼ばれた保元3年12月3日付官宣旨(石清水文書)に「備後国……榲原保」とあり,山城石清水八幡宮の所領の1つであったついで元暦2年正月9日付源頼朝下文(同前)に「椙原別宮」と見えるのも当荘を指す治承・寿永の乱では平家追討の軍勢のため兵粮米の徴収や狼藉を被ったが,源頼朝の命令で停止された下って室町期,備後国守護山名持豊が「石清水八幡宮領備後国藁江神村新庄杉原等」に守護使を入部させたが,寛正2年5月幕命によってこれを止めているその後,備後国守護山名政豊も「八幡領備後国藁江神村新庄杉原等」に対する段銭を免除し,催促を停止させた(同前)また「康正二年造内裏段銭并国役引付」によれば「杉原左京亮殿〈備後国杉原本庄段銭〉」とあり,杉原本荘は室町幕府の奉公衆杉原親宗の所領として5貫文の段銭が課されているおそらく,椙原保はある時期に武家領としての杉原本荘と石清水八幡宮領に分けられるようになったと思われる杉原氏は平貞盛の末裔,備後南部の最有力豪族であり,当荘を本貫の地とする備後国在庁官人として発展したといわれるが,南北朝期以降は庶流で木梨荘を本拠とする木梨杉原氏や福田荘高須社の高須杉原氏のほうが勢力を得た応仁3年2月14日付細川勝元感状写(小早川家文書)に「杉原苧原」と見え,応仁の乱中,応仁2年2月10日に南下してきた山内豊成ら西軍の軍勢を,東軍の沼田小早川一族が当地で迎え撃ち,これを破ったことが知られる戦国期,大永年間頃の3月19日付木梨陸恒書状(閥閲録遺漏4‐2)によれば,木梨杉原陸恒は一族の高須元胤に「杉原本郷方之事,子細候て我等申付候へ共,御めいわく承候間進之候」と伝えている当時,当荘は木梨杉原氏の支配下にあったが,同氏から高須杉原氏に渡された詳しい荘域は不明であるが,現在の尾道市原田町小原付近に比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉原町(近世~近代)
江戸期~昭和49年の町名江戸期は宇都宮城下町の1町(宇都宮市史)二荒山の宇都宮大明神の西側から釜川にかけての大通りの北の一角を指す弘仁年間には当地は池辺郷の西原台地の一部で,大きな池があったといわれるが,大洪水により土手は決壊し,池も枯渇して池ノ辺の池の面影はなくなり,陸地となったという(宇都宮の歴史)往時,宇都宮大明神の社地から続いて杉の木が多くあったのが町名の由来という(同前)近世初期に当町より鉄砲町が分かれた(宇都宮町名起源考)江戸初期から地子免許元文年間町方書上帳によれば,名主伊右衛門・喜右衛門,町並みは東西長さ28間・道幅6間,この町家は南側7軒・北側7軒,別に新宿【にいじゆく】通り南北長さ49間があり,この町家は西側26軒・東側3軒(東側に大竹長方屋敷あり),あわせて本家17軒・小割家33軒,木戸2か所・番所2か所,ほかに会所坊寺院として真言宗宝光院,平右衛門百目鬼【どうめき】抱屋敷2軒があり,横町末粉河寺門前南側は当町名主支配下であったまた,当町の町高は27石余(県史近世1)明和8年町方書上帳には,会所・百目鬼家数を含めた家数40軒,この坪数515坪余と見える(宇都宮市史)寛政年間の諸職人諸商人留によれば,古着屋3・木綿屋2・合羽屋1・桶屋1・畳屋1・大工1・ほうろく師1が見える(同前)また,寛政8年宇都宮宿役馬町割覚によれば,池上町組に属し,馬1疋を負担する(県史近世2)大明神西下には慶長7年建立の浄土宗浄鏡寺がある同寺は奥平家昌の開基で,良意上人の開山,阿弥陀仏を本尊とする幕末の商家としては,質・荒物屋の戸室十郎兵衛,紙屋忠蔵など数軒あげられる明治22年宇都宮町,同29年からは宇都宮市の町名昭和20年7月の宇都宮大空襲では,町内23世帯のうち18世帯76人が罹災した同22年の世帯33・人口218同39年本町,同49年本町・塙田2丁目・馬場通り1~2丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉原村【すぎはらむら】
(近世)江戸期~明治9年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

杉原村(近世)
江戸期~明治9年の村名山辺郡のうち深川と布目川が合流する地,神野山北麓に位置する地名の由来は,杉が密生する地であったことにちなむのであろう(東山村史)字上ケ谷から石槍が出土した当村はもと深川村の出屋敷であったと伝えるはじめ幕府領,元和5年からは伊勢津藩領村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」「元禄郷帳」ともに63石余,「天保郷帳」64石余寛延年間頃には戸数15・人数72,馬1,祠に八王寺・稲荷,寺に善福寺がある(宗国史)小村落であったことから常に他村の庄屋が兼帯し,幕末には丹生下村庄屋福岡常次・文右衛門父子が兼帯した安政元年の大地震で水脈が変わり,3町余の田が畑に化したといわれるこのため新溜池構築を藩に歎願し,同2年から3年の月日と延べ3万人の労力を費やして,字笠神に長さ約90m・幅約60m・深さ約20mの笠神池を竣工したこれにより5町余の新田も開かれたと伝えられる(東山村史)なお明治12年にこの笠神池建造に尽力した福岡文右衛門を顕彰する碑が建てられ,笠神池碑とも呼ばれる善福寺は明治期に廃寺となったが,同寺跡には弘治3年11月11日造立の南無阿弥陀仏名号碑があり,12人の念仏講衆が造立した12人は当村草創時の全戸数を示すかと考えられるまた室町期の作という本尊阿弥陀如来座像は,北野の極楽院本堂に現存する明治8年の戸数16・人口70同9年北野村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉原村(近世)
 江戸期~明治8年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉原村(近世)
 江戸期~明治13年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉原谷村【すぎはらだにむら】
(近代)明治22年~昭和29年の多可郡の自治体名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

杉原村【すぎはらむら】
(近代)明治22年~昭和28年の婦負(ねい)郡の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

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